SSブログ

世界に対する個人の感想(忌野清志郎死去の報に思う) [忌野清志郎死去に思う]

ブログに限らず、文章を書くときにいつも心がけていたいと、いってみればマイルール的に設定しているいくつかの事柄がある。僕は主に文章を書くのを生業としているわけだから、これは個人的な職業倫理のようなものだということもできるかもしれない。でもそれは、あくまでも個人的な、「書く」という行為に意識的でありたいという願いが生み出した姿勢のようなものであり、それに抵触するからこの仕事は受けないとか、やりたくないとか、そういう結論を導くつもりは毛頭ない。

とまあ、言い訳はさておき、そのマイルールがどんなものなのかというと、それは

世界に対する個人の感想は書かない

というものなのだ。「世界」とは、グローバルなものという意味ではなく、他者と共有している環境、つまり「社会」と置き換えてもいいのだが、このマイルールを自分の中で一般化しようとすると、この言葉になるだけで、具体的な局面では他にいくらでも置き換えは可能だ。

手っ取り早いところでは、スポーツ・ジャーナリズムというのは、まさにこれだったりする。「世界」が共有する事件としてのゲームとその結果があり、それに対して、個人的な肉体と思考を持つ書き手が何かを書こうとすると、それを「感想」という平易すぎるタームでひと括りにしていいのかどうかは別として、でもつまるところそういった類いのものにならざるを得ない。それは手紙でもなく、チラシの裏の買い物メモでもなく、マンション管理組合からのゴミ収集に関するお知らせでもなく、もちろん営業先へ持っていく企画書でもない。それは、基本的には世界に対する個人の感想なのだ。

ところで、ブログのような表現手段が普及し、雑誌のようなメディアが苦戦を強いられるという傾向に関しては、さまざまな側面からさまざまな人が語っている。僕の考えでは、それは世界に対する個人の感想のインフレーション、相対的な価値の低下をもたらしてしまった。世界に対する個人の感想がこれほどまであふれかえってしまったいま、雑誌でスポーツの結果に関する文章を書くという行為には、少なくとも僕にとっては相当に高いハードルが課せられているように感じられるのだ。ましてや僕は社会的に特別な意味を付与された人間(「個人」以上の何者か)ではない。そんな僕が、いまさら無邪気にたんなる世界に対する個人の感想を書くことはできない。どんなに苦しくても、そうではないことを書く、少なくとも書かなければと意識し続ける、それだけが僕にできることなのだ。

なかなか思っていることを伝えるというのは難しいね。ここまで読んで、結局何がいいたいのかわからなかったという人、ごめんなさい。なんだよおい、ちっとも具体的な話にならなくて恐ろしくつまらないな、と思った人、本当にごめんなさい。

で、さらに謝らなければいけないのだが、実はここまではただの前フリだったりするのだ! 驚いたでしょう。僕も驚いた。今回、書こうと思っていたのは、忌野清志郎に関することだったのだが、いざ書き始めてみたら、なんだかんだと前置きをしないではいられなくなってしまった。つくづく、小心者だなあと思う。ダメだねえ。

いまから数日前、忌野清志郎の死去の報に触れて、その瞬間から今もまだ、個人的にはものすごい重さを伴った感情に襲われ続けているのだが、どんなに重くとも、それはそのままの形では世界に対する個人の感想にすぎない。いろんな人が、本当に多くの人がこの大事件に対して心が動かされた記録をネット上に書きつけていて、もちろんそうしたくなる気持ちは痛いほどというか、本当に、医学的肉体的に胸が痛くなるほどよくわかるのだが、さて僕自身はどうしたいのかというと、ここのところ何日も、なかなかそういった気持ちを文章にする気が起きないというか、いったいどうすればいいのかちょっと途方にくれていたのだった。簡単にいえば、何か書きたいんだけど、何を、どこに、誰に向かって、どのくらい、いつ、どんなふうに書いたらいいのか、何ひとつわからなかったのだ。でも、いろいろ考えているうちに、ようやく一つ、とっかかりが見えたような気がするので、それを頼りに、次回は何ごとかを記してみたい。続く、ということで。

nice!(2)  コメント(1) 
共通テーマ:競馬

nice! 2

コメント 1

ふにゃちゅう

長い前フリは伝統芸ですね。フフゥ~ン♪
by ふにゃちゅう (2009-05-15 02:47) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。