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ドラクエ9やってます [ドラゴンクエスト]

『ドラクエ9』やってます。いい歳してなんだが、だって好きなんだもん。年齢的にド真ん中世代よりちょっと上なため、心のベストは『2』で、『5』あたりになると早くも思い出からもどこか微妙に熱さが失われている者にとってみれば、ゲームシステムの複雑化は興味深くプレイし続けるための唯一の方策で、たしかにこういう方向へ行くしかなかったんだろうな、などとエラそうに批評の一つもしてみたくなるってもんだが、そういうのみんなやってるよね。だからここでは、超個人的な過去の『ドラクエ』評をやってみるが、それとてみんながこぞってやってるのは百も承知している。勝負はどこまで個人的になれるかにかかっているわけだが、しかしそれはそれでしんどいもんだね。

1 『ドラゴンクエスト


プレイしたのは高校3年生のとき。それまで『スーパーマリオ』とか『ファミスタ』とかしかやってなくて、それほどゲームっ子というわけでもなかったのが、いきなりハマった。思うに、小学校中学年でブロック崩し、高学年でインベーダーや平安京エイリアン、パックマン、中学生でゼビウスに出会った僕たちの世代は、心のどこかに、ゲームとはなにがしかの代償(100円ってことなんだけど)を支払って挑むもの、という考え方が刷り込まれているんじゃないだろうか。純粋なゲーム内容だけでなく、その外の社会的な部分も含めて熱くなるもの、とでもいうか。そういう意味で、家庭でいくらでも、好きなだけゲームができるファミコンという存在に、じつはどこか本質的に相容れないものを感じていたような気がする。

でも、『ドラクエ』は見事にそんな僕のハートを鷲掴みにした。そこには、『時間』をはじめとしたある種の社会性を犠牲にして挑まなければ太刀打ちできない何かが、確実にあったのだ。確か徹夜でプレイして、学校行ってもずっと寝ていて、放課後はバンドやギターの練習したりして、夜中はまた『ドラクエ』という日々が続いていたと思う。世代的なものなのか、友達がそういうタイプじゃなかっただけなのか、周囲にプレイしている人は一人も見当たらなかった。ただひたすら、一人で夜中にゲームと向き合った記憶のみが、ゲーム内容の単調さとともに強烈に刻まれている。こんなの、初めてだった。本当に。


2 『ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々』


高校3年生の終わり、卒業間際。購入に際して大騒ぎがあったかどうかは、正直覚えてない。どうだったっけ? 最初から浪人するつもりでのんびり構えていた(ひどいね)ため、受験との兼ね合いに関しても、驚くほど記憶がない。『1』で感じた、ゲームが本質的に求める「社会との断絶」が、僕に関してはこのとき極限まで押し進んでいたから、というのはあまりにもキレイすぎる説明で、かえって嘘くさいかな。ともかく、(個人的にも社会的にも)時代背景と無関係にゲーム内容のすごさだけがいつまでも印象として残る、そういうゲームだ。小説や映画の名作から受けるのとまったく等質・等量の衝撃を受けた、とでもいうか。いや、比喩ではなく、本当に同じなんだってば。ちなみにこの『2』は当時、日本SF大賞の候補にノミネートされている。ゲームが候補になるなんて前代未聞だったが、もっと重要なのは、その後も例がないという点だ。文芸的な表現の深みと、ハリウッド的なエンターテイメント性が、ともにインタラクティヴなゲームというジャンルで実現したというのがほとんど奇跡だったということがよくわかる。

この『2』のすごさ、他の作品とは違う点を言い表そうという試みはあちこちで行われているが、僕がいちばんピンときたのは、高橋源一郎がエッセイ「ドラゴン・クエストⅢ。物語は勝利したか」(『文学がこんなにわかっていいかしら』所蔵)で、ある蕎麦屋の女将の言葉として紹介した「はっきり言ってⅢは面白くなかった。だって、シドーは恐かったけど、ゾーマは恐くなかったよ」という表現だ。ホラー映画的な恐怖ではなく、なにかもっと根源的な、システムや規則そのものが足元から崩れていく恐怖。そういうものに出会える機会って、それほどあるわけではない。

なんか長くなったので、『3』以降はまた日をあらためて。続く、ってことで。
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ふにゃちゅう

「きこりの与作」も名作です!
by ふにゃちゅう (2009-07-15 19:49) 

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