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ゲームで「飽きる」のは、そんなに悪いことなんだろうか? [ドラゴンクエスト]

『ドラクエ』シリーズのレビューは、これがラス前、2004年にプレイステーション2で出た『8』について。

先に書いておくと、僕は『8』をクリアしていない。クリア目前、とまではいわないけれど、8~9割は進んだある日、セーブせずに数時間プレイしていると、エアコンと洗濯機と電子レンジとあとなんかいろいろ同時にスイッチが入って、ブレーカーが落ちてしまったのだ。テレビからゲーム機からぜんぶ電源が切れてしまい、その数時間(たしか4~5時間くらいだったような)分がパーになってしまった。それで猛烈にやる気を失ってしまい、その日以降、一度もプレイしていないというわけなのだ。

ブレーカーが落ちるのなんてもちろん不可抗力でしかないんだけど、じつは経験からある程度予見できる状況でもあった。で、それは直接の原因となる何らかの(なんだっけ? もう覚えてないや)スイッチを入れたうちの奥さんのミスといえばミスなんだけど、自分でも驚くほど、それを怒ったり責めたりする気は起きなかった。まあ子供じゃないんだから当たり前なのかもしれないけど、それどころか、やる気を失わせてくれたことに感謝するような気持ちになったのだ。へんな言い方だけど、そのときのやる気の失い方は、ゲームを1本、クリアし終わったときに感じるものと、ほとんど同じ種類のものだった。クリア(じゃないけど「ゲームを終える」という意味ではそう言い換えて差し支えない)を助けてくれて、サンキュー。そういう感じ。どれほど熱中していようとも、誰でも常に心のどこかで感じている、RPGを遊んでいるときの「作業」の感覚が、それだけ僕の中で大きかったんだろうと思う。自分ではプレイしているときにそういう意識はなかったけれど。

シリーズ中、最後までクリアしていないのは、この『8』だけだ。ちなみにリメイク版などを含め、遊んだ回数が1回だけなのは、今のところ『7』『8』『9』。たぶんそれは『7』『8』『9』のせいじゃなく、僕のせいなんだと思うけど。

8 『ドラゴンクエストⅧ 空と海と大地と呪われし姫君』


というわけで、シリーズ中、唯一クリアしていない『8』は2004年11月にプレイステーション2で出たわけだが、僕はPS2のゲーム自体、これと『トルネコ』と『サルゲッチュ』くらいしか持っていないわけで、まず僕自身、このハードを使った表現に圧倒的に慣れておらず、つまり「トゥーンシェイドを採用した完全3D表現」とかなんとか言われても、「おお!」とか「ついに!」とか「やったか!」とか(最初の「おお!」は何の意味もないか)まったく思わず、というか「ああ、あのいかにも”最近のゲーム”って感じのアレね」のような、どちらかといえばネガティヴな反応しかできないことは、言っておかなくちゃならないんだろうな、やっぱり。

面白いのは、巷にあふれる『ドラクエ8』評のほとんどが、この3D表現を心配していたけどいざプレイしてみたら杞憂に終わった、という論調のものだという点だ。いわく、「『ドラクエ』らしさが失われていないか心配したけど、3Dになってもやっぱり『ドラクエ』は『ドラクエ』だった! これぞ新時代の『ドラクエ』! エポックメイキングな名作だと思います!」というわけだ。だが、これってどこかおかしくないだろうか? うまく言えないが、自身が本質的に保守的であることをそのまま表出するのをどこかで恥じていて、それをなんとか肯定しようとしている感じがするのだ。

いや、もっと簡単に言おうか。「自分は何度でも遊べるような深みを持った昔の『ドラクエ』が好きだ」と表明したいくせに、「そんなら無理に新作なんてやらず、『1』でも『2』でも昔のシリーズをやってりゃいいじゃん」と言われてしまうことを怖れているような気がするのだ。でも、何を怖れているんだろうか? いいじゃん、そう言われたって、と僕なんかは思うのだが、でもそれを言っちゃあおしまい、そうなったら「負け」なんだろうな、きっと。

ゲームに限らず映画でも漫画でもなんでもそうだが、こうなると「シリーズ」ってやつが本質的に革新的なものを産み出せるわけがないということが、よくわかってくる。具体的な「期待」に応えることを第一義的に考える「シリーズ」という思想は、具体的な既知の「新しさ」しか提示できない。そして「既知」と「新しさ」というのは、矛盾する概念なのだ。

この『ドラクエ8』には、3D表現以外にも多くの「新しい」システムが導入されている。「スキルポイント」による成長、「テンション」での攻撃威力の増幅、「錬金釜」によるアイテムの作成。それらはゲーム世界を複雑にすることに成功しているし、そのおかげで「飽きさせない」という評価も得ることができているのだと思う。でも、「飽きる」のはそんなに悪いことなんだろうか? 人生でも時折「飽きる」ことがあるように、ゲームでも「飽きる」余地――「飽きる」自分との対決に打ち勝つ喜びとでも言おうか――が残されているべきなんじゃないだろうか? 『ドラクエ』の最初の『1』、リムルダールのあたりでレベル上げをしていたときの、あの「もう飽きた!」という感じ。あれは、そんなに悪いものじゃなかったはずだ。本当に怖れるべきは、もっと本質的な「飽き」なんだと思う。

僕の『8』は、ちょうど「神鳥のたましい」を入手してこれまで行けなかった場所へも飛んで行けるようになったあたりで終わった。そこでぶつりと電源が切られた瞬間、僕は自分がそのゲーム自体に「飽き」ていることを発見したのだ。そしてそんな自分に気づくのは、けっこう悲しくて、さびしいものだった。
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ふにゃちゅう

プレイ中にブレーカーを落とすなんて、デキの悪い奥さんですね。でも、大きな心で許してあげてクマさい。
by ふにゃちゅう (2009-11-12 00:06) 

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