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夜の散歩 [日記]

仕事もプライベートもとにかく家にいる時間が長くなっている昨今、外に出るのは最低限の買い物と、あとはいくらなんでもちょっとはカラダを動かさないとまずいよなという危機感からの散歩くらいしかなくなってる。

散歩は、夜にしてる。出発は9時とか、10時とか。「ちょっとした買い物」はそのついでに、店が閉まる直前にのんびり済ませたりすることも多い。それも含めて、短くて30分、長くて1時間半くらい。コロナ禍の夜の町はひっそりと静まり返っていて、生活の匂いがほとんどしない。すれ違うのは、同じように散歩してたり、ランニングしてたりする人ばかりだ。

散歩をしていると、至るところに貼り紙がしてあるのを見かける。

貼り紙1.jpg

こういうやつだ。

店だったり、マンションだったり、銀行だったり動物病院だったり。バス停にも貼られている。まったく「ウォーキング」的じゃない、本当にただの散歩なので、そういう貼り紙を見つけると、つい立ち止まって読んだりする。みんな、コロナに振り回され、困惑し、我慢を強いられている。そういうことがよくわかる。自分だけじゃないんだな、という気持ちになる。

そんなコロナウイルスの感染拡大にどう立ち向かっていくかに関して、ときどき安倍総理が緊急の会見を開くことがある。あの会見があると、内容への批判と同じくらいか、もしかしたらそれ以上に、プロンプターの原稿を読んでいるだけじゃないか、という批判というか、呆れた声が世の中に満ち溢れる。自分の言葉じゃない。ぜんぜん伝わってこない、というわけだ。

で、その「自分の言葉」というフレーズには、職業柄、どうしても反応してしまうことになる。自分が書いているこの原稿は、本当に「自分の言葉」だろうか? 読んだ人に、伝えたい何かが伝わるものになっているだろうか? 無意識下の「プロンプター」に従って書いているだけにはなっていないだろうか? そういう感じだ。人の振り見て我が振り直せ、とでもいうか。

街の貼り紙を読むのが好きなのは、たぶんそこに「自分の言葉」があるからなんだと思う。伝えるべき内容と同じくらい、あるいはもしかしたらそれ以上に、伝える言葉の大切さがリアルに実感できる瞬間だからだ。

貼り紙2.jpg

静まり返った通りの、明かりの消えた暗い店先。そのシャッターに貼られた一枚の紙から、何かを直接、受け取る感覚が好きだ。そこには何か大切なものがあるような気がする。今夜の散歩でも、そんな貼り紙に出会えるといいんだけど。

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